2013年06月03日

「7度目の夏」と「新たな旅立ち」

おがです。

多利野で田んぼの様子をみたあと、東栄町にある「山のレストランさかた」へNPO法人三遠南信アミの総会に参加すべく向う。
時間があったので途中寄り道。

今年の夏休みキャンプの下見。
鳳来湖奥、設楽町宇連地区の廃屋です。
ここでのキャンプは2006年からなので7度目の夏になります。(2010年は実施しませんでした)

鳳来の岩場の開拓初期(25年前)にはこの廃屋に三河川合に住む地主さんが毎日通い、
養鶏と畑を営んでいました。

当時は鳳来湖から設楽町神田へ抜ける道路工事も続けられており、狭い道を大型ダンプが行きかっていました。
バブル崩壊とともにその工事も中断され、だれも訪れる人はいなくなっています。

たぶん、2005年。
この道の行き止まりの場所を訪れたとき、1台の自家用車と老夫婦がたたずんでいました。
「なぜこんな場所に?」と声をかけると、この道路工事を請け負っていた東栄町の土木工事業者の方でした。
「あとトンネル工事1つと1.5kmで工事は完成したのに。最後まで完成できなかったのが残念で・・・。」と嘆かれていました。
もうすでに引退され自らの人生を振り返るとき、この道のことを忘れられずにいることを感じました。

廃屋のおじいさんはすでに数年前に亡くなりましたが、おばあさんは今も健在です。
息子さんが数年前に定年をむかえたとの事で、今は利用する場合はおふたりに許可をいただいています。
その息子さんが子どもの頃、この家に暮らしていたそうです。
近くに小学校分校があり、息子さんと女性の先生ひとり。生徒と先生ふたりの分校だったそうです。
先生が「子どもの教育のためにはここを出た方が良いのでは?」と言われ三河川合まで出たそうです。

本校が設楽町立(当時はもしかしたら振草村立かな)神田小学校。本校も今は廃校となり、豊橋市の神田ふれあいセンターとして利用されています。
ここから神田へ抜ける道はなく、「運動会などの本校のイベントに参加する場合、どこを通って行ったのだろう?」と思います。
四谷千枚田から神田へ抜ける仏坂トンネルの少し下、この道が抜ける予定だった場所はシャガが群生しています。
春に訪れたときには工事を請け負っていたあの男性のことを思い出し、シャガの質素で可憐なそのいでたちがとても切なく感じました。

話はずいぶん横へ反れましたが、川の状態と諏訪神社を確認し東栄町へ向かう。


NPO法人三遠南信アミの総会です。

理事長の松田不秋さんが先日亡くなったためにどなたにお願いするかが最大のテーマです。

愛知大学の藤田先生が初代の理事長で今も顧問をお願いしています。
右往左往はありましたが愛知大学の黍島先生にお願いすることになりました。

総会を終え、ボルダ109に顔を出し、多利野で片づけをして浜松へ。

新たな旅立ちはNPO法人三遠南信アミのこと。
三遠南信サミットが始まった20年前の思いを持った方々が段々と少なくなっていく昨今。
その思いをどのように受け継いでいくか。
サミットの住民セッションで圧倒的な信頼と存在感を示していた不秋さん。
改めてご冥福を。



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