2013年08月16日
感謝状
おがです。
多利野の土間に1枚の感謝状があります。
平成8年8月に新城警察署からいただいたモノ。つまり17年前。
その半月前、鳳来の鬼岩で借家(クライマー20数名でクライミングをする拠点として借りていた家)メンバーと登っていました。
すると明神山から下山してくる登山者が
「上の方で胸(心臓の辺り)をおさえて倒れている登山者がいます。
私一人ではどうしようもないので下りてきました。
私はこのまま下山し、三河川合の駐在に連絡します。」
と。
自分はハーネス(安全ベルト)を外し、ロープを持ち、「行こう」とまわりに声をかけた。
すぐに一緒に行動を開始したのはその3年後共に鳳来のアクセス問題で活動した若林、保科、大西だった。
最終的に20数名のクライマーがともに救出に動いてくれた。
(この日の鬼岩には50名以上のクライマーがいた)
登山者は川合口と東栄三瀬口との分岐で倒れていた。
急激な苦しみは治まっていたが歩ける感じではないという。
共に活動した保科当時嫁(苦しい表現ですね~)は医者(小児科が専門)なので脈を確認した。
川合へ下すよりも三瀬へ下した方が早い。
そう判断し、要救助者を下す班と川合へ下り迎えに行く班とに分かれた。
救出に向かう時に仕方なく同行していた東京のFと関西のGは要救助者を見た途端元気になり仕切りだした。(ホントこのオヤジたちは・・・)
大半が要救助者の搬出にかかわりたそうだったので自分は川合へ下り、車で三瀬まで迎えに行く班にまわった。
川合への下山中、消防団?の方々が上がってきた。
三瀬へ下している旨を伝えると「ぢゃあ俺たちは関係ないね」と話しいっしょに下山しだした。(この時は「なんだ!?」と思ったけど地元のボランティアだったのですね、たぶん。)
川合へ数名が下り4台で三瀬まで向かった。
三瀬につくとしばらくして搬出班が到着。
要救助者は瀬戸市の会社社長でセルシオ(レクサス)が駐車されていた。
東京のFはうれしそうにセルシオに乗り込み運転しようとしていた。ところでヘリと救急車が到着し残念そうにするF。。。(笑)
多利野の土間に1枚の感謝状があります。
平成8年8月に新城警察署からいただいたモノ。つまり17年前。
その半月前、鳳来の鬼岩で借家(クライマー20数名でクライミングをする拠点として借りていた家)メンバーと登っていました。
すると明神山から下山してくる登山者が
「上の方で胸(心臓の辺り)をおさえて倒れている登山者がいます。
私一人ではどうしようもないので下りてきました。
私はこのまま下山し、三河川合の駐在に連絡します。」
と。
自分はハーネス(安全ベルト)を外し、ロープを持ち、「行こう」とまわりに声をかけた。
すぐに一緒に行動を開始したのはその3年後共に鳳来のアクセス問題で活動した若林、保科、大西だった。
最終的に20数名のクライマーがともに救出に動いてくれた。
(この日の鬼岩には50名以上のクライマーがいた)
登山者は川合口と東栄三瀬口との分岐で倒れていた。
急激な苦しみは治まっていたが歩ける感じではないという。
共に活動した保科当時嫁(苦しい表現ですね~)は医者(小児科が専門)なので脈を確認した。
川合へ下すよりも三瀬へ下した方が早い。
そう判断し、要救助者を下す班と川合へ下り迎えに行く班とに分かれた。
救出に向かう時に仕方なく同行していた東京のFと関西のGは要救助者を見た途端元気になり仕切りだした。(ホントこのオヤジたちは・・・)
大半が要救助者の搬出にかかわりたそうだったので自分は川合へ下り、車で三瀬まで迎えに行く班にまわった。
川合への下山中、消防団?の方々が上がってきた。
三瀬へ下している旨を伝えると「ぢゃあ俺たちは関係ないね」と話しいっしょに下山しだした。(この時は「なんだ!?」と思ったけど地元のボランティアだったのですね、たぶん。)
川合へ数名が下り4台で三瀬まで向かった。
三瀬につくとしばらくして搬出班が到着。
要救助者は瀬戸市の会社社長でセルシオ(レクサス)が駐車されていた。
東京のFはうれしそうにセルシオに乗り込み運転しようとしていた。ところでヘリと救急車が到着し残念そうにするF。。。(笑)
この時にいっしょに動いたメンバーが鳳来アクセス問題で初期に活動した面々だった。
この時に鬼岩にいながら動かなかった面々はやはり鳳来アクセス問題でも動かなかった。
必死で活動する面々を横目で見ながらただ自分の楽しみのクライミングを知らぬ顔で続けていた。
それから10数年。
共に動いた面々はほとんどいなくなった。
知らぬ顔で登っていた面々は今も多くがそのまま残り登っている。
別に彼らを責めようというのではないけれど・・・・、世の中ってそんなもんなのかなと思うと一抹の淋しさを感じずにいられない。
この時に鬼岩にいながら動かなかった面々はやはり鳳来アクセス問題でも動かなかった。
必死で活動する面々を横目で見ながらただ自分の楽しみのクライミングを知らぬ顔で続けていた。
それから10数年。
共に動いた面々はほとんどいなくなった。
知らぬ顔で登っていた面々は今も多くがそのまま残り登っている。
別に彼らを責めようというのではないけれど・・・・、世の中ってそんなもんなのかなと思うと一抹の淋しさを感じずにいられない。