2009年05月16日
森の石松 ここに眠る!
おがです。
今日の朝、新城の富岡に「森の石松の墓がある」とのことだったので行ってみました。
森の石松は新城出身。お墓も殺された後、腹違いの弟が首を持って持ち帰ったそうだ。
富岡は多利野から車で15分くらい。
三ケ日の方へ南下し、福津峠から豊橋方面へ行く途中の集落です。
↑ この名前の書かれていない墓が石松の墓だそうです。
石松の墓がある洞雲寺はこの門の奥
寺の住職に「石松の墓はどこですか?」とお聞きしたところ
「奥にあるが一人じゃわからん。」と案内してくれました。
石松の一族の墓と説明していただいた住職です。
住職のお話では、
『石松が死んだのが明治維新の数年前だからそんなに前ではないよ。
講談や東映映画「清水の次郎長シリーズ」で描かれている石松とは実際は違い、ひどい奴だった。
遠州森町が地域おこしに石松を利用し、森にある大洞院の墓も東映が作ったもの。
こっちではあんな博打打を称えることはないだろう。
殺されたのだって弟の難病を直すのに生き胆が良いと聞いて、通りかかった都鳥一家の人間を殺して弟に生き胆を食べさせたし返しさ。
毎年、石松祭りの前に森町から議員さんやいろいろな方がみえるけど、こっちは何とも複雑さ。』
とのこと。
遠州と三河をつなぐ話だと思って行ったけれど、何とも複雑。
これも事実ですね。
Posted by GEN&OGA at 17:11│Comments(2)
│『多利野』な生活
この記事へのコメント
高校生の時(古過ぎる話でごめんなさい)、
古人見町の民俗調査をやっていて、
清水の次郎長一家を見たことがあるというお爺さんの話しを聞きました。
そのお爺さんが、「本物はとても恐かった。映画とは全然違う。」と
話してくださったことを思い出しました。
“本業”の仕事?中は、やはり相当恐かったようです。
古人見町の民俗調査をやっていて、
清水の次郎長一家を見たことがあるというお爺さんの話しを聞きました。
そのお爺さんが、「本物はとても恐かった。映画とは全然違う。」と
話してくださったことを思い出しました。
“本業”の仕事?中は、やはり相当恐かったようです。
Posted by 池ちゃん at 2009年05月21日 10:44
池ちゃん
映画やテレビは脚色されて当然なのでしょうね。
でも現在はこんな話も良い面だけを活かせばいいと思います。
映画やテレビは脚色されて当然なのでしょうね。
でも現在はこんな話も良い面だけを活かせばいいと思います。
Posted by おが at 2009年05月22日 16:22