2013年04月29日

「三遠南信の空」と「故・長谷川保氏の想い」

「三遠南信の空」と「故・長谷川保氏の想い」おがです。

写真は水窪さんのところから拝借しました。

3~4年くらい前だったと思います。
設楽の友人の事務所にお邪魔し、話をしていました。

当時、その友人は仕事で東三河北部医療圏情報のsiteを立ち上げたところでした。

彼は、いろいろな情報を得ていました。

彼は会話の中でボソッと
「ドクターヘリで聖隷三方原病院に運ばれると奥三河や南信濃の人で自動車のない人は見舞いに行けない。
飯田線で豊橋・浜松経由でバスで行くしかない。
おじいちゃんが運ばれると車の運転できないおばあちゃんは1日かけて病院に行き、帰るのも1日がかり。
何とかならないか。」と。

長篠から山吉田経由で引佐の田沢まで出てもそこから遠鉄バスの連絡が悪い。
何とか乗り継いでも北区の金指まで行ったところで聖隷病院は西にあと1kmのところで反対の東へむかってしまう。
昨年春の北区内のバス網の再編成で乗り換えれば聖隷に行けるようにはなった。
しかし、・・・・。

また別の手段として
東名新城バスストップから乗ったとしても舘山寺バスストップから聖隷に行く手段はない。

2010年8月に聖隷三方原病院の協力を得て、翌年春から新城市で子どもが産めるようになった。
その時のブログはこちら
この時は自分もうれしくてこの新聞を浜松に持ち帰った。

GENの母親は定年まで聖隷病院に勤め、声の通る元気な方なので
聖隷病院創始者の故・長谷川保氏が選挙の時には選挙カーに乗り込みマイクを握り、声を張り上げていたそうだ。
その義母はその新聞記事を見て、「これこそ長谷川先生の意志だ。」と共に喜んでくれた。

長谷川保氏についてはこちら

故・長谷川氏がどんな思いで中山間地域の医療を考えドクターヘリを計画していたか。
義母の話やウィキペディアを読んだだけではあるが、その想いを推しはかると今の行政区の連絡の悪さにいささかの憤りを感じる。
本当に何とかならないのか!と。

三遠南信の空を舞うドクターヘリ。
故・長谷川保氏の地域への想いをのせて。。。

PS 
故・長谷川保氏は7期社会党の国会議員として活躍されました。
同時期、東三河・社会党の国会議員を勤められたのは故・穂積七郎氏。(現新城市長の父親)
同時期の南信濃の社会党国会議員は誰だか知りませんが、それらの方々が三遠南信の中山間地域の医療や福祉をどのように話し合っていたのか?
今では知る由もありません。

Re/PS
引佐町田沢でのバスの連絡。金指から東へ向かうバス網。
これが解決されれば佐久間町や水窪町の方々も聖隷三方原病院に公共交通機関で行く場合長篠経由が最も早いと思われます。
浜松市に交渉するにはこの北遠の2町と組むことが有効現実的に思います。
そしてこれを機会に連携ができればなぁ~


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